red blues

ジャニオタ女の一生

情熱を青く燃やす7人を目の当たりにした私の話

 

 

「5月29日のクリエ、復活当選した。アンタどうする?」

全ては影山担のその一言から始まった。

 

これは物心ついた頃からジャニーズワールドを愛し、ジャニーズに人生を捧げてきたアラサー女が、初めて訪れたシアタークリエでキラキラ眩しい宝物を手に入れるまでの備忘録である。

先に申し上げておくが、当方がそのキラキラに出会い、それを宝物にすることを決めるまでに要した時間はたったの3日だ。25年以上ジャニオタをしている私がたった3日でこのブログを書くに至ったこの熱量を存分に感じていただけたら嬉しい。LOVEは熱いうちに打て、だ。

私がつい数日前出会ったその宝物は、今まで出会ったなによりも誰よりも、直視するのも儘ならないほど鮮烈な光を放っていた。

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私はジャニオタとしての生き方以外を知らない。私が生まれた頃すでに母はKinKi Kids堂本光一さんの大ファンであった。

母の影響により日常生活の中でジャニーズに触れる機会は多く、小学校低学年の頃には「銀狼怪奇ファイル」の再放送を観るために友達との約束をブチって帰宅するという横柄な人格に仕上がっていた。(友達は大事にしよう)

やがて思春期を迎えた私は、自らの意思で当時ジャニーズJr.だったKAT-TUNを応援するようになる。CDや雑誌、チケット代を捻出する必要があった。そう、金銭面という大きな壁に私はかなり早い年齢でぶつかったのだ。

「あいつはジャニーズ以外の雑費の節約のためにいつも財布を忘れたフリをするから気をつけろ」という注意喚起が親族内でなされるほど、野蛮な手段でお金を貯め込むケチな子どもとして名を馳せてしまったのも今となっては微笑ましい話だろう。

こんな私も一丁前に勉強に力を入れたり、恋愛をしたり、結婚を視野に入れて同棲をしていた時期もあったが、程度こそあれ、私がジャニオタを辞めることは一度もなかった。そして2021年現在も、私はジャニーズワールドの虜だ。

と、私の生い立ちはもういい。宝物の話に移るとしよう。

 

私がクリエC、のちのIMPACTorsに興味を持ったのは、冒頭でも登場した影山担の影響が大きい。

私は彼女に絶大な信頼を寄せている。彼女が「良い」と勧めてくるものに間違いや解釈違いが一度も生じたことがないからだ。

過去に私とその影山担は3ヶ月ほど共同生活を送っていたことがある。元々彼女と私は同じデビュー組のオタクとして出会った。彼女も当時まだはっきりと担当だと言えるほど好きだったわけではなかったはずだが、「顔がすこぶる好みなんだよね」と私が買ったMyojoの付録でついていたジャニーズJr.データカードの中から影山拓也さん一枚だけを奪っていった経緯がある。つまり私のデタカの山の中には影山拓也さんだけがいない。

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その後ズブズブと影山拓也さんの沼にハマっていった彼女からの布教もあり私もIMPACTorsさんに少なからず興味を示すようになっていった。当時も以下のようなツイートをしている。

 

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ジャニーズJr.の配信も一緒に観たし、MステでのIMPACTorsというグループ名の発表も彼女と一緒に観た。しかしまだ私はIMPACTorsさんにハマるに至らなかった。というよりは、「絶対にハマるから怖い」と思っていた節はある。

当方、当時ジャニーズJr.だったKAT-TUNを愛した女だ。好きじゃないわけなかろうが、なのだ。しかし三十路をすでに過ぎている私が10ほど年下のジャニーズJr.を応援することは許されないのでは?と変な罪悪感に苛まれ、彼らに近づくことを控えていた。

そしてついに2020年8月の段階ではお名前を存じ上げなかった好みのお顔の彼をしっかりと認識するようになる。

 

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鈴木大河くん、通称「がちゃん」だ。

くしゃっとした笑顔が可愛らしく、柔らかくやや低めの声色、ふわふわとした仕草、何よりオシャレな点に大変惹かれた。(アイランドTVやジャニーズWeb内の連載でがちゃんの私服は見れるぞ!)

なるほどお母様はかつてアパレル勤務でいらっしゃったそう。ばっちりとその血を引いておられる。一見癖のあるアイテムを選んでいるように見えるがそれに合わせるもののバランス、その他のスタイリングの足し引きがうまい。そしてサイズ感のセンスが抜群。彼は自分の体型に似合うアイテム、似合う色、似合う着こなしをちゃんと知っている。それはとても素敵なことだと思う。その手の仕事に就いている私はそれだけで大変好感を抱いた。

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しかし2021年3月の段階でもまだこの程度の好意であり、のちに彼に激しく心を乱されることをこの時の私はまだ知らない。

 

さて冒頭に話は戻るが、事の発端は影山担から告げられたジャニーズ銀座クリエD公演の復活当選だった。

「アンタどうする?アンタが行かないならやめとくけど」

「いや行くよ」

何の迷いも無かった。あるわけが無かった。

先に述べたように、影山担が勧めるものに"""間違い"""は絶対にないのである。

こうして私は職場の人員不足をやや強引に押し切ってクリエに入ることを選んだ。

 

私はジャニーズJr.時代のKAT-TUNを応援していた頃以来、ジャニーズJr.にはすっかり疎くなっておりクリエ、EXシアター、TDCなどの会場は未開の地だった。また、変わった形状のペンライトを発売するグループのオタクをやっているため、棒状のいわゆるキンブレのような形のペンライトを持つのも初めてだった。

まだハマっていなかったなりに、初めて7人がIMPACTorsとして立つシアタークリエでは、IMPACTorsと表記のあるペンライトを振ってあげたい。その気持ちだけで数年ぶりのジャニショの予約に踏み切った。なお、一人で、だ。私は女子高生だらけのジャニショ内の平均年齢を自らの力のみで爆上げすることに成功した。

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私は購入用紙を勢いよく掴み、それはそれは力強く「IMPACTors」と書き込んだ。今思い返してみるともしかしたら「INPACTors」と書いてしまったかもしれない。集合写真と山拓也さん鈴木大河さんの個人写真を買った。最後に滑り込みで可愛すぎる基俊介さんの写真も追加した。

2本のペンラと公式写真を大切にしまったカバンを手に私は影山担の家へ向かう。途中交通機関乗車の際に「時限爆弾などのお持ち込みなどございませんか?」という一般女性にするにはハードすぎる確認をされ、「まあIMPACTorsのペンラはまあ時限爆弾みたいなものか……」と謎にマスクの下でニヒルな微笑みを浮かべたことも今では良い思い出となっている。(本当に?)

「今日が現場だと思えない。全然気持ちも体も仕上がってない」

「わかるよ」

平日の激務で影山担と私はひどく疲弊しており、クリエ当日の朝になっても全く現場の気持ちが仕上がっていなかった。そしてさらに私は人生で1番肥えた状態でIMPACTorsさんに会う形となった。もう最悪だった。影山担はその日のために綺麗に伸ばした爪にIMPACTorsピンクのネイルを施すつもりでおり、私はそのネイルの調達を頼まれていたにも関わらず購入を忘れ、かなり迷惑をかけた。現場前とは思えないほど、準備不足のまま我々はクリエへ向かったのであった。

「ねえ写真撮って」

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???

この時すでに開演約30分前。なんの準備も終わらないまま現場へ向かっている道中でありながら、影山担のざんまい写真撮影をするなど随分余裕をこいている。(次回現場前に同じようにざんまい写真を撮り、痩せていく様を記録したいとのこと)

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ついにシアタークリエの看板が前方に現れ、我々のテンションも徐々に上がっていく。

角を右にまがるとそこには可愛くてピッチピチの女の子がたくさん集まり、入場を待っていた。これこれ、久しぶりの感じ、やっぱり現場ってサイコー!!!

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同じようにポスターの写真を撮ったり、自担の写真やペンライトを片手に撮影をする人々を見渡して「もしかしてクリエって可愛い人しか入れないんじゃ…?」と一瞬怯むも、なんとか持ち前の明るさと自己肯定感の高さのおかげで無事二人揃って入場することに成功した。

入場しステージを目の当たりにした我々は、あまりの狭さに息を呑むこととなる。規模感を表現するなら吹奏楽部の定演の会場」だ。開場から開演までの時間があまりに短すぎる。もう少し心の準備をさせて欲しい。影山担は「IMPACTorsさんに顔デカイと思われたくないからマスクのヒダ大きく広げるのや〜めよ」と言ってマスクを縮める準備をしていてウケた。また影山担と私は体内に「ジャニーズJr.の人格」が存在しているので開演前に唯一揃った発言が「はよクリエのステージ立ちてえ〜」」だったことだけはよく記憶している。

 

「私は今日、大河ちゃんのママなので、授業参観を見にきた気持ちで今から過ごしますね」

私は開演前、影山担にこう宣言した。始まる前までは本当にそう思っていた。

「私は自分のことを大河ちゃんのママなんだと思ってたけど違った、私は鈴木大河さんが好きだ」

公演後、一番最初に発した言葉がこれだ。

声を出せずとも会場中に広がっていたあたたかい空気、さもステージと客席の区別なんてないかのようにこちらに反応を求めてくる彼らの姿を見ていると、仕事や日常生活での嫌なことを思い出す暇もないほど、楽しい時間を過ごすことができた。なにかと仕事で大変だった時期も多かったので、邪念なく心から「楽しい」をもらえた現場はもしかするとIMPACTorsさんが初めてだったかもしれない。

コンサートの内容等は割愛するが(絶対割愛するところじゃない)(なんならレポをしろ)、私は兎にも角にも、これから「宝物」になっていくグループに出会ってしまったと確信したのだった。

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写真が全編に渡って下手なんよ…………………

 

陳腐な言葉でしか表現できないのが歯痒いが、私はあの日クリエで「希望」を見た気がした。

IMPACTorsの明日、来月、半年後、1年後、叶うならもっともっと先の未来をこの目で見たいと思ってしまった。

たとえばこれから彼らを傷付けてしまうような、ヤスリみたいな言葉にその身が触れてしまったとしても、傷がつくのではなく、またそこが磨かれて輝きに変わっていくような。そんな強さを感じずにはいられなかった。そしていつのまにか、7人を見ながら「とんでもないグループを知ってしまったのかもしれない」と、公演中に鳥肌が立ってしまっていたのだ。

7色のペンライトが揺れる客席を、とても愛おしそうに見つめながら微笑む彼らの姿は私には光量が凄まじすぎて目が眩むほどだった。彼らの過去も、今日までの努力も葛藤も何も知らないけれど、それでも今日この日までアイドルを続けてくれて、今日私と出会ってくれてありがとう。ここに立ち合わせてくれてありがとう。そんなことが頭をぐるぐる巡っていて、ステージを見ている視界が涙でぐにゃっと歪んでしまいそんな自分に心底驚いた。

 

不明確なゴールを目指すのは誰だって不安だ。

そもそもあるのかどうかもわからないほど見えづらいゴールを、そこにあると信じて長い年月を過ごすことほど苦しくて不安なことはないと私は思う。きっとそんな日々を過ごしてきたんだろう。だからこそクリエのステージで見たIMPACTorsのみんなの笑顔は眩しかった。

マイクを通さずとも聞こえる声、ジャンプするたびに軋むステージ、こちらからも向こうからも顔がはっきりと見える距離。いつかそうでなくなる日が来たとしたらきっと寂しいと思ってしまうんだろうけど、君たちはもっともっと広いところで、大きい声で歌って、踊って、笑っている未来じゃなきゃいけない。

もっともっとたくさんの人に囲まれて、愛される未来じゃなきゃいけない。

 

記憶と五感を結びつけて考えると、一番初めに失う記憶は「聴覚」だと何かで読んだことがある。次いで「視覚」としての記憶が薄れていくらしい。

聴覚と視覚だけでなんとか焼き付けてきたクリエの公演のことは、きっといつかぼやけた思い出になっていくんだろう。きっとそのうち、本当に聞いたもの見たものではなく、自分でなんとか補修した記憶になっていくのだろう。

それでもいいと思った。私はこの日の思い出を、字が薄まったページはペンでなぞって上書きして、破れて欠けてしまったページはテープで貼りつけて、そうやって大事に大事にとっておきたいと思う。朧げな記憶を自分なりに磨いて、たまに宝箱から取り出して見つめたりするのもいいかもしれない。

 

余談だが、人の記憶で一番最後まで残っている五感は「嗅覚」らしい。

私はあの日影山担がペンライトを振るたびにほのかに漂ってきていた、IMPACTorsピンクのマニキュアの匂いをきっと忘れない。